決めるのは誰か 写真-3
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「しかしながら、自分の写真が社会に与える影響については、貴方は少し考慮が足りないようだ」
「私の写真は、そんな大層なものではありません」
「大層なものかどうかは、それは貴方の写真を見た人が決める事でしょう。私を始めとして秩序保安課の同僚は皆、貴方の写真のもつ影響力を認めています。そして、だからこそ、あの桜の写真のタイトルとキャプションの持つ力に、懸念を示している訳です」
「山下さん、私はここへ大袈裟な冗談を聞きにきたのですか」
私に対する彼の仰々しい評価は、冗談にしか思えなかった。そんな理屈で言いがかりを付けられても困る。私は呆れ返っていた。
「北村さん。誤解しないで貰いたい。私は極めて真面目な話をしています」
山下の目に威圧的な光が走り、口調は安物の権威を纏った。
「そうですか。それはすいませんでした」
「北村さんのあの桜の写真は、確かに美しい。しかし、あのタイトルとキャプションが付けられた所為で、あの写真は人々の不安を駆り立て、助長するものになってしまっているのです。貴方は意図しなかったかも知れないが、あのタイトルとキャプションの所為で、あの写真は公共の秩序に対する見過ごせない危険を、孕んでしまったのです」
「すいませんが、私には山下さんの仰っている意味が、理解できません」
「最初に申し上げたとおり、北村さんの写真は人々にあらぬ不安を与え、根拠のない妄想を助長しています。先日の騒ぎでもよくご存知のとおり、不安に駆られた人々は社会を破壊しかねない暴挙に、容易に走ってしまうものです。つまり、国民の不安を煽るような表現は、騒乱を誘発する事にもなるのです。例え、北村さんがそれを意図していなくても」
余りにも稚拙な山下の理屈に、私は思わず、失笑を漏らしそうになった。人々の言動を監視し、不安と恐怖をもって人々を管理しようとする社会改善局が、私の写真を指して「不安を煽る」と言うのだ。呆れを通り越して、それは滑稽であった。
文章にしても、映像にしても、絵画にしても、その他の「表現」と呼ばれる様々な作品の解釈は、受け手の感受性や考え方、そして精神的背景に左右されるものであろう。それらは千差万別であり、人によって異なる筈だ。当然のことながら、私の写真を見た人の誰もが社会改善局のような解釈を抱くとは、決して言い切れない筈だ。
確かに、私はあのタイトルとキャプションに、そう直接的に表現してはいないが、「反戦」の思いを込めた。恐らくその思いは、あの写真を見て、タイトルを読んだ人には容易に伝わるだろう。しかし、その人たちの誰もが山下の言うような不安に駆られ、妄想を抱くとは、私には考えられなかった。仮にそのような人がいたとしても、それは一部であり、全部ではない筈だ。
そうは思ったものの、私は沈黙を守っていた。社会改善局には、何を話しても無駄である。彼らは、彼らの思うがままに人々の言動から危険を見つけ出し、それが社会に差し迫った現実の脅威であるかのように錯覚し、人々にその妄想を押し付けているだけなのだ。確信的な誇大妄想狂の彼らとまともな議論を試みるのは、時間の無駄であり、頭脳の浪費である。
「北村さん。いま日本は、未曾有の危機に直面しています。経済、環境、エネルギー、外交、国防、教育、社会福祉、全ての面で難題が山積しています。この国難に際し、国民は団結する必要があるのです。日本人は団結した時にこそ、その民族的な底力を発揮します。我々は、この国難を乗り切ることができるのです。国民が一致協力しさえすれば」
私の沈黙を彼の勝利として受け取ったのだろうか。山下の口調は力を帯び、半ば自己陶酔の気色さえ覗けた。
「そのためには、秩序の確保が優先されるんですよ。北村さんもよくご理解くださっているように」
もちろん、法と秩序は重んじられるべきものだ。法治国家は法と秩序により成り立っている。しかし、秩序の確立が恣意的な権力の乱用によって実現されるのであれば、それは秩序ではなく統制であり、管理である。秩序は自由な市民の自由な意思により、確保され維持されるべきものであり、権力により管理され、押し付けられるものではないない筈だ。
山下への反論が即座に思考に閃いたが、それでも私は沈黙を守っていた。彼に説明するだけ、時間と労力の無駄である。権力による管理が全てだと狂信的に信じ込んでいる者に、そんな理念が理解される筈がない。
「大衆は水のようなものです。水は欠くべからざるものであり、有用なものですが、コップなり器なりで形を与えてやらなければ、どこかに流れさってしまいます」
黙って彼の話を聞く私に満足したのか、山下は理解し難い例え話を持ち出した。
「秩序の確保により、大衆には形を与えなければならないのです」
「しかし、止まった水は腐ってしまいますよ」
大衆を見下した彼の例え話に、思考の内部に抑えつけていた反発が過敏に反応し、脊髄反射のような鋭さで反論を返していた。
山下は一瞬、呆気に取られたような表情を見せていた。
「水は岩をも穿ちますが、それは流れている水ですね。ある決まった形に押さえ込むよりも、ある程度は流れるに任せたほうが、有効に利用できるのではないでしょうか」
彼の表情から危険を読み取った私は、前言の鋭さを覆い隠すフォローを慌てて付け足した。私はライオンの檻に入り込んだのにも等しい状況に置かれているのだ。ここから無事に帰ることを、何事にも優先させる必要がある。
「それは、水には通用する理屈かも知れませんが、大衆には、通用しませんね」
取って付けたような私のフォローを、山下は軽く流した。その理屈には納得しなかったものの、彼の意識が私の反論の鋭さから逸らされた事に、私は内心、安堵の息を漏らしていた。
「北村さん、貴方が機微に長け、気骨に富む人であることは、私も薄々感付いていました。しかし、貴方には社会に対する配慮が足りません。貴方には、はっきりと言っておきましょう。人々に不安を与え、彼らを妄動に駆り立てるような写真をウェブ上に掲載したことは、秩序の維持に対する重大な挑戦であり、社会改善法の違反に相当します」
山下はそこで言葉を切った。私の表情を窺うためだったのだろう。
このまま拘束されるのか。彼の電話を受けて以来、意識の片隅で怯えていた恐怖が私の脳裏を駆け抜けたが、私は意識の襞から楽観を搾り出して、表情に表れる前にその恐怖を封じ込めた。
「しかし、貴方のような秀逸な人材を『更生教育』にまわして拘束するのは、日本社会にとっては由々しき損失です。今回は、不問に付しましょう」
「有難うございます」
礼を言う理由など全くなかったし、そんなものを山下に捧げるつもりも全くなかった。口では彼に礼を言いながらも、私は年齢と共に身に付けた自分の狡猾さに、心の中で感謝していた。礼を言ったからといって、自分の節を曲げた訳ではないし、山下などを相手に張り合っても、全く意味は無い。そう割り切る事ができたのは、私が狡猾さを身につけたからでもあった。
「しかし、今後は注意してください。いつもいつも、私が対応できる訳ではないですからね。秩序保安課には、『秩序に対する如何なる挑戦も許さない』と言う頭の固い連中も、沢山いますから」
山下は平然と、恩着せがましい言葉を吐いた。私は彼が押し付けてきた恩に対して、反射的な反発を感じたが、彼の言うことにも一理あるのかも知れなかった。思考の硬直した担当者に「社会改善法の重大な違反だ」と頭ごなしに決め付けられ、問答無用で罪に問われるよりも、多少は柔軟に物を考える事のできる山下が私を担当した事は、私にとっては不幸中の幸いなのかも知れない。少なくとも彼は、自分の事を理性的だと評価しているらしい。自分をそう評価する以上、彼は彼なりに理性的であることを、自分に課している筈だ。
「そうですね。注意します」
思ってもいないことを平然と言えるものだと、私は自分に呆れていた。しかし暫らくは、自分の言動に注意を払った方がいいのかも知れない。あの写真とタイトルだけで、私はこのような難癖を付けられ、西山は批判めいた詩をブログに掲載しただけで、拘束されているのである。この嵐が過ぎ去るまで、自分の言動には注意を怠るべきではないのかも知れない。しかし、この嵐は来たばかりだ。一体何時、過ぎ去るのだろうか。
「もう帰って頂いて、結構です」
閉じたファイルを小脇に抱えた山下は、席を立ちながら私に言った。
「そうですか」
自然と両肩が落ちるのを、私は自覚していた。
「それと…」
ドアに向かって足を踏み出しかけた山下は、不意に立ち止まって私の目を見下ろした。
「私もいつもいつも、今日のように落ち着いて対応できる訳ではありませんので」
私は黙って彼の目を見上げた。
「次回も見逃すとは、決して考えないで下さいね」
冷ややかな色を目に浮かべた山下は、威圧的な口調でそう告げた。








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