決めるのは誰か 月曜日の朝-3
←・前節へ
「ええ。それでちょっとだけ、北村さんにお願いがあるんですよ」
「僕にできることかい、それは」
「ええ。ちょっとこれを預かってほしいだけです」
西山はスーツの内ポケットからエアメールの封筒を取り出し、私に差し出した。
「なんだい、これは」
封筒には既に切手が貼り付けられ、横文字で住所と宛名も記されている。ある国際機関の人権委員会宛てのようだ。
「大そうな宛先だな。知り合いでもいるのか」
「いえ。そう言う訳じゃないんですけど」
「これを、預かっておけば良いのかい」
「ええ」
「預かるだけで良いのか」
私は西山の奇妙な依頼を確認した。彼の望みは手紙を預けるだけではないだろう。恐らく、彼の身に何かが起きた時、私はこの手紙を彼の代わりに投函する事になるのだろう。
私の問いに対して、西山はすぐに答えなかった。その代わり、彼は視線をデスクに落として、再び微かな吐息を漏らした。
「もし、僕が会社に来れなくなったら、それをポストに投函して欲しいんです」
「風邪で休んでも、ポストに入れるのか」
答えを判っていながらも、私は敢えて冗談を飛ばした。彼は自らが作り出した深刻な妄想に陥ってしまっている。彼は不機嫌になるかも知れないが、こういうのは明るく笑い飛ばした方がいい。
「健康上の理由で休んだ場合は、ポストに入れなくても結構です」
西山は苦笑いしていた。冗談を受け止める余裕は、まだ持っているらしい。
「でも、社会改善局に捕まるかも知れません」
「大丈夫だろ。普通の会社員を捕まえたりしないよ」
「僕も大丈夫だと思うんですが、あの法律が施行される以上、何も起きないとは断言できないので」
「考えすぎだよ」
「だと、いいんですけどね」
「まぁ、とりあえず預かっておくけど、多分、これは笑い話になると思うよ」
「そうなって欲しいですね」
「大丈夫だよ。それとも何か、睨まれるようなことをやったのか」
「はははっ。睨まれる事ですか?」
私の言葉を聞いた西山は、前触れもなく笑い始めた。彼の笑いは、微かな嘲りと自棄を帯びていたが、他人に不快感を与える種類のものではなかった。しかし、私は彼が笑い始めた理由がさっぱり判らず、訝しげな視線で彼を見ていた。
「すいません」
私の視線に気付いたのか、彼は笑うのを止めた。
「いや、別にエエけど。なにが可笑しいんだよ、とは思うよな」
「ええ、そうですね。すいません」
ばつの悪そうな笑みを軽く見せた後、西山は続けた。
「何が『睨まれるような事』なのかを決めるのは、僕ではなくて、社会改善局の皆さんなんですよね。僕がどう考えようと、彼らが『公共の秩序を乱す』と考えたら、それで僕を逮捕する理由が成り立つでしょう」
「でも、むやみやたらに市民を逮捕する権利なんて、社会改善局は持っていない筈だぞ」
「そう願いたいですね」
「そうじゃないと、困るよ。しかし、一体、何をやらかしたんだ」
彼が危険を感じている以上、何らかの「危ない」行為を、彼はしでかした筈だ。もしそれが、先ほど預かった封筒に関連するものならば、私は彼が何をしでかしたのか、知っておく必要がある。
「大した事じゃないですけど、お話しておかないといけませんね。これですよ」
西山はアタッシュケースを開けて、蓋のポケットから一枚のプリントアウトを取り出した。そして、軽くそれに目を通した後、私にそれを差し出した。その彼の素振りからは、それが「危ない書類」であるとは、とても思えなかった。
私は受け取った書類に目を走らせた。A4版のコピー用紙に記された短い文章を読むのに、殆ど時間は必要なかった。
「彼らは「愛せ」と言う。
だが、私は自ら欲して、愛したいものを愛す。
彼らは美辞麗句を並べる。その真意を理解することもなく。
そして、自己陶酔の魔術を掛けようとする。
だが、私には通用しない。
彼らは我々の視線を下げさせようとする。
だが、私は下を見ない。
彼らはあやふやな価値観で差別を推奨し、人々の間に敵意を煽り、憎しみを増殖させようとする。
そして、恐怖で人々の心を支配しようとする。
だがそんなものは、自らをその虜としない限り、殆どは存在しないものだ。
彼らは私の目を隠し、耳を塞ぎ、考える時間を奪ってきた。
そして今度は、秩序を振りかざして、私の口を閉じさせようとしている。遥かな昔、我らの父祖にそうしたように。
彼らの言う秩序とは、一体、誰のための秩序なのだろうか」
一通り目を通した後、私は再度、全文を読み返したが、この文章の何が危ないのか、皆目見当が付かなかった。と言うよりも、被害妄想が過ぎると言うのが、正直な感想だった。
「ないだい、これは」
「なんでしょうね。これを『詩』と言ったら、怒られるでしょうね。てんで体裁が取れてないし、韻とか無視してるし」
「いや、そう言う意味じゃなくて。これのどこが危ないんだい。なにやら批判めいた文章だけど、とてもこれが危険な文章には思えないな。少なくとも、社会改善局から睨まれるようなものには思えないけどね。僕には」
「僕もそう思いますよ。でも、睨むか睨まないのかを決めるのは、社会改善局ですからね」
「大丈夫だよ。それとも、この文章をどこかで、そうだな、例えば過激な団体の機関紙か何かに、発表したのかい」
「いえいえ。そんな大そうなものじゃないですよ。自分のブログに掲載してるだけですよ」
「へー。君はブログを書いてるんだね。人気があるのかい」
「いえいえ、とんでもない。ガーグルのサイトランクも“3”しかありませんし」
「それって、すごいの」
「よく判らないですけど、個人サイトとしてはまぁまぁとしても、人気サイトではないですよ」
「じゃぁ、大丈夫じゃないのか」
「僕もそう思ってるんですけどね」
「被害妄想が強すぎるよ。大丈夫だよ。僕も写真をウェブに掲載してるけど、そんなこと、考えた事も無いよ。大丈夫だよ」
西山は文章だけでなく、考え方も被害妄想が強いらしい。いや、考え方がそうだから、文章もそうなるのだろう。
「だと、いいんですけどね」
「この手紙も、笑い話になるさ」
「そう、願いたいですね」
断定調の私の励ましが効いたのだろうか。彼は微かな笑いを唇の端に浮かべていた。








0 コメント:
コメントを投稿