決めるのは誰か 目-2
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「遊びに行くんじゃないですよ」
「そうなんや」
「英会話学校に寄るんです」
「ふーん、関心だな」
咄嗟に言い訳を思い付いたのだろうか。あるいは、前もって考えてあったのだろうか。それとも、先程の「内緒です」は、会社帰りに勉強していると私に知られる事に、恥かしさを覚えた咄嗟の反応なのか。
「海外で働きたいんですよ」
「へぇー、すごいね。どんな仕事?」
「自然保護の仕事に就きたいですね」
「立派だね、それは。動物とか、好きなの」
「動物も好きですけど、生態系そのものにも、興味がありますね」
英語を学ぶ動機にしても、仕事のビジョンにしても、彼女は返答につまずく事がなかった。「疑いすぎじゃないのか」猜疑心を牽制する自分が、思考の中に顔を覗かせた。そんな事を考えるよりも、もっと会話を楽しむべきじゃないのか。
実際、その通りだろう。猜疑心を向け続ければ、彼女が社会改善局のスパイで無くなるというのなら、幾らでも疑えばいいだろうが、そんな事は有り得ない。それ以前に、彼女は社会改善局とは全く関係がないのかも知れない。どちらにしても、私の鞄の中に西山の手紙が入っている事を、彼女に知られなければ良い訳だ。つまり、西山から危険な手紙を預かった事を知られなければ良い。そうか、西山だ。西山の話題を振ってみて、彼女の反応を確認してみても良いだろう。もし、彼女が社会改善局に関係しているのなら、何らかの不自然な反応を見せるだろう。
「ふーん。そうなんだ。そんな仕事ができたら良いね」
「そうですね。でも、まず英語が喋れるようにならなくちゃ」
「そう言えば、西山も海外で仕事したいって、言ってたな」
実際に、彼はそんな事を言ってたよなぁ、と思い返しながら、私は彼女の反応に注目していた。もし私の疑いが正しければ、彼女の視線や表情に不自然な変化が現れるはずだ。目に翳りが浮かぶかも知れないし、口調や言い回しに違和感が生じるかも知れない。
「そうなんですか!」
彼女は新鮮な驚きを目と口調に躍らせていた。海外雄飛を目指す仲間を同じ社内で見付けた事が余程嬉しいのだろうか、彼女の表情でも驚きが弾んでいた。やはり、私は猜疑心が強すぎたのか。
「でも、西山さんならすぐにでも、行けそうですね。頭、良さそうですし」
「まぁ、そうかもね。でもあんな事になってしまっちゃあな」
明確な表現を避けて、私は彼女の反応を確認することにした。
「あんな事って、何かあったんですか」
同僚に心配を向けるごく自然な反応だ。言葉のタイミングも、不自然な戸惑いもなければ、用意していたかのような異常に鋭いリアクションもない。
「あれっ、知らないの」
「ええ、なにも聞いてませんけど。最近のことなんですか」
「最近も何も、今日のことだよ」
「今日、ですか」
どうやら、彼女は何も知らないらしい。違うフロアーで起きた事件を彼女が知らないのは、別に不自然でもなんでもない。
「本当に、知らないんだね」
「知りませんよ。意地悪しないで下さいよ」
「西山君な…」
キーワードを口にする前に、私は思わず声を潜めた。彼女が社会改善局と無関係であっても、他の乗客の中に社会改善局の目や耳があるかも知れない。
周囲を素早く一瞥した後、私は続けた。
「西山君な、社会改善局に拘束されちゃったんだよ」
「えっ、なんですって」
声を潜めすぎたのだろう。彼女の聞き返す声が必要以上に大きく聞こえ、過敏になっていた私の神経を驚かせた。目だけを動かして周囲の乗客たちの様子を素早く窺った後、私は小さく深呼吸して、今度は少しだけ大きな声で、ゆっくりと言った。
「社会改善法の違反で、社会改善局に捕まったんだよ。彼」
「えっ、そうなんですか!」
彼女の表情を驚きが走った。私は彼女に目を向けながら、視野の片隅で周囲の乗客を窺っていた。しかし、私の言葉を聞いて何らかの反応を示した人物を、彼らの中に見付ける事はできなかった。
「西山さん、何か悪いこと、やっちゃったんですか」
無意識のうちに、彼女も声を潜めたくなったのだろう。驚きの端に恐怖と興味を覗かせつつ、小さな声で訊いてきた。
「何も悪いことはしていないと、僕は思うよ」
「じゃぁ、なぜ」
「社会改善局から見たら悪いことをしたんだろうね」
「北村さんって、意地悪なんですね」
「えっ、なんで」
「西山さんが何をしたのか、全然教えてくれないじゃないですか」
「ごめん、ごめん。彼はね…」
謝りながらも、私は周囲への警戒を怠らなかった。彼女の目を見て謝った後、ちょっとした思案をめぐらせる振りをして、私は周囲に警戒の一閃を送った。
「彼はね、ちょっとした、なんていうのかな、ちょっと批判めいた詩をね、ウェブに載せていたんだよ」
「西山さん、詩人だったんですか」
「彼自身は『詩とは呼べん』と言ってたけどね。まぁ、批判めいた文章と言った方が、彼に怒られないかな」
「誰かの悪口を書いたんですか、西山さん」
「いや。特定の個人名は出てこないし、悪口ではないよね。支配者に対する反発というか、世情を憂うというか、そんな強烈な批判でもないし、罵詈雑言の類いでも、冷笑的な中傷の類いでも、決してないんだけどね」
「そんな事で、逮捕されちゃうんですか」
「どうやら、そうみたいだね。僕が知ってる以外に、彼がなにかとんでもない事をしでかしていたら、また話は別だろうけどね」
「怖いですねぇ」
「それだけじゃなくて、二、三ヶ月は会社に戻って来れないらしいよ」
「ええっ!そうなんですか」
「更生教育が必要、とかいう話だけどね」
間断なく周囲に目を配りながら、私は西山の身に起きた不幸の顛末を語った。私の話す内容に、中谷は本当に驚いている様子だった。彼女の整った顔立ちに浮かべた驚きは、とても演技には見えなかったし、透き通った瞳に浮かんだ翳りも、作為的なものには見えなかった。
周囲の乗客たちも、相変わらず何の反応も見せなかった。それ以前に、私と彼女との会話に注意を払っているような素振りすら、全く感じられない。
「取り越し苦労だったのか」思考の中でだけそう呟きかけた瞬間、私は取り返しのつかないミスを犯したことに気が付いた。
西山の例の文章を読んだことを、私は喋ってしまったのだ。
「社会改善法の重大な違反」というレッテルを貼られた彼の文章は、西山のプライベートな活動の成果だ。その方面での彼はそれほど有名ではなかった筈だから、会社の同僚である私が彼の文章を読んでいたという事実は、私が西山と親しかった事を証明するだろう。
そして私は、誰が聞いているか判らない公の場で、その事を話してしまったのである。
会社前の広場で不自然な行動を見せた私を監視する者が、もしそれを聞いたのなら、私に対する疑念を間違いなく深めたであろう。
私は再び、周囲を見回した。しかしやっぱり、私の行動や言動に注意を払うような素振りは、誰も見せてはいない。派手な装いのOLたちは自分たちの会話に夢中だし、地味なスーツの会社員は、本や資料を広げて食い入るように見つめるか、新聞を詰まらなさそうに眺めている。誰も、私に視線を向ける者はおろか、殺気だった気配を発散している者など、誰も居ない。私の視界に広がっているのは、ごく普通の、何の変哲もない日常の電車の光景だ。
「気の毒ですね。西山さん」
「全くだね」
中谷の同情に頷きながら、思考を苛み続ける猜疑心と、それに力を与え続ける社会改善局の「目」に、私は抑圧と苛立ちを感じていた。








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