決めるのは誰か エア・メール-2
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「西山君も連絡なしで休んでるみたいなんで、ちょっと電話しようと思ってたところなんですよ」
「無駄だよ」
「えっ」
「西山君に電話しても、無駄だよ」
「えっ、どうしてですか。西山君に何かあったんですか」
深い溜息とともに、課長の両肩が再び、目に見えて落ちた。彼の視線は、再びデスクに向けられた。
「西山君は、今、留置所の中だ」
「えっ。留置所。一体、何をやらかしたんですか」
西山は何か馬鹿げた事をしでかして、留置所に入れられているのだろう。交通事故でも起こしたのだろうか。それとも、酔っ払って暴れたのだろうか。いや、彼は酔っ払っても他人を殴ったりはしない。おそらく、看板か何かを壊して、器物損壊の罪にでも問われているのだろう。
「社会改善法の、重大な違反だそうだ」
重そうに口を開いた課長の言葉は、低いトーンで空気を震わせた。私は慄然としていた。先ほど図らずも悟ってしまった悪い予感が、的中してしまったのだ。
「少なくとも、二、三ヶ月は、職場復帰は無理らしい」
「えっ、そんなに!」
「社会改善局の話だと、彼には更生教育が必要なんだそうだ」
「更生教育ですって!」
「俺もビックリしたよ。なんで、そんな事が必要なんだって、社会改善局の担当者に食ってかかったんだが、極めて重大な違反を犯したから、仕方がないって言うんだ」
「彼が何をやったって言うんですか。一体、何なんですか。その『極めて重大な違反』というのは」
まさか、あの文章をウェブ上で発表した事が「極めて重大な違反」なのか。そんな馬鹿げた話はないだろう。あんな、風刺としても詩としても中途半端な文章を、大した影響力も持たない個人サイトに掲載した事が、「極めて重大な違反」である筈がない。西山は何か別の、彼らに睨まれても仕方がないような、何かとんでもない事をやらかしたに違いない。だとすると、彼が私に託した手紙に、その「とんでもない事」が記されているのだろうか。私は彼に騙されていたのだろうか。
「俺にもよく判らんけど、なんでも、公の秩序を甚だしく乱す『詩』みたいなものを、個人のブログに載せていたらしいな。あいつは」
「ええっ。アレがですか」
「なんだ。お前、知ってるのか」
「ちょっと見ただけですけどね。そんな大袈裟なものには、とても思えませんよ。確かにちょっと批判めいた文章でしたけど、『公の秩序を甚だしく乱す』なんて、とてもそんな大それたものじゃないですよ」
「そうなのか」
「まぁ、私も彼のサイトを隈なく見た訳じゃないんで、他にもなんか凄いのを彼が書いていたのかも知れませんけど、少なくとも私が見たものは、そんな大層なものではないですよ」
「じゃぁ、その大した事ない、ちょっと批判めいた文章をブログで発表しただけで、彼は拘束されている訳か。まったく、何を考えてるんだよ、お役人は。民間の働き蜂を大した理由もなく拘留するなんて。誰の税金で国が動いていると思ってるんだ」
貴重な戦力を唐突に奪われた怒りの捌け口を、課長はとうとう見付けたようだった。
「それに、西山君も西山君だ。難癖を付けられるような文章をブログに掲載するなんて、会社員として迂闊すぎる。会社の信用と評判を何だと思っているんだ」
次いで課長の怒りの矛先は、狭苦しい留置所に閉じ込められているであろう西山に向けられた。彼がこの事件における一番の被害者である筈だが、部下の「意図せぬ不始末」が会社に損害を与えてしまったと考える課長にとって、そんな事実は考慮に値しないものであるらしい。
「社員のブログは禁止するべきだな。こんな事が起きてしまっては」
課長の考えでは、社員の言論の自由は、例えそれが私的な活動であっても、会社の評判の前には存在しないらしい。もちろん、その考え方は驚くべきものでもないし、今に始まった事でもない。消極的にでも、その考え方を受け入れている人は、少なくない筈だ。だがこんな一件が起きた後では、「会社の信用」を盾にして公然と、ますますその自由は制限を加えられるだろう。
「言論の自由」は、憲法に保障された基本的人権ではなかったのか。例えそれが実際の伴わない概念のみの存在に過ぎなくても、国民はその自由を主張し、行使する権利がある筈だ。他人の自由と権利を侵害しない限り。
もちろん、「会社の信用」は、その会社の社員にとって護持するべき対象ではあるが、個人の行動の自由に制限を加えるものではなく、言論の自由に優先されるものでもない筈だ。しかし、社会改善法は、その関係を公然と逆転させてしまったのかも知れない。
「北村君は、変な事してないだろうな」
「してませんよ」
そう即答したものの、確信を持って断言できた訳ではなかった。社会改善局から睨まれる事など無いと、私が自信を持っていても、睨むかどうかを決めるのは社会改善局なのである。西山が書いたあの程度の批判文をもって、「公の秩序を甚だしく乱す、社会改善法の極めて重大な違反」と判断されるのであれば、批判めいた事や皮肉めいた事はおろか、愚痴やぼやきですら、社会改善法違反として扱われかねないだろう。
西山が私に手紙を預けた時、私は彼の誇大妄想的な心配を一笑に付した。しかし、彼の不安は的中し、彼は社会改善局に拘束されてしまった。そして、彼が抱いていたのと同じ不安が、私を苛み始めていた。
何を言って良いのか、何を言ってはならないのか。それまでは自分で判断すれば良かった事が、他人が判断する事になってしまった。その上、「重大な違反」と判断されれば、「更生教育」と称して拘束された上に、会社にも周りの人たちにも迷惑を掛けることになる。
これでは公の場で迂闊な事は言えないし、ウェブサイトにも気軽に書き込めなくなってしまう。自由な議論を交わそうとしても、公開の場所では殆ど不可能だろう。
「危険な会話」は、信頼の置ける人物としか交わせなくなるだろうし、常に相手が信頼できる人間かどうかを判断しながら、話す内容や言葉を選ばなくてはならない。ひとたび「危ない会話」を交わしてしまったら、その相手が社会改善局に通報するのではないかと、ありもしない不安に苛まれる人も出てくるだろう。そのような不安は往々にして根拠の無いものの筈だが、ひとたびその不安が作り出す悪循環に陥ってしまうと、際限無く湧き上がってくる猜疑心に、その人は苦しみ続ける事になるのだろう。心配が過ぎるような人は、他人と何も話せなくなってしまうかも知れない。
良好な人間関係を築き、維持してゆくためには、束縛されない自由なコミュニケーションは不可欠な要素である。しかし、人々が疑心に囚われた状況では、もはや円滑なコミュニケーションは望めないだろう。良好な人間関係の上に成り立ってきた社会機構は、その効率を阻害され、衰退してゆくかも知れない。もちろん、会社もそのような社会機構の一種である。
西山はこの事を予期していたに違いない。そして私に預けた手紙に、彼のささやかな抵抗を託したのだろう。彼はこの事態を国際機関に訴え、自由を制限する権力に一矢を報いるつもりだった筈だ。デスクの引出しで眠る西山の手紙には、そんな彼の叫びが込められている。








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