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◆過労死、給料遅配、会社員の「負の現実」を抉り出す社会派作品新しい一歩(連載終了)
◆「古き良き時代」、恋がまだ「冒険」だった頃…Be better than it is.(連載終了,PDF公開中)
◆短編
決めるのは誰か(連載終了) ・壁のち壁、ところにより…(連載終了) ・Office Harbor View(連載終了) ・超短編集(神村的日常にて不定期連載中)

2007年7月18日

決めるのは誰か 誰のための秩序-1

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誰のための秩序

 翌朝、私は会社に間に合うぎりぎりの時刻に目を覚ました。急いで朝食を掻き込み、慌てて身支度を整えると、私は文字通り家を飛び出して、眠い目を擦りながら駅へと急いだ。

 前夜、社会改善局から解放されて家に帰り着いたのは、深夜零時を大きく回った時刻だった。その上さらに、寝床に入った後も、謂れの無い言いがかりで呼びつけられた怒りと、彼らに生殺与奪を握られているという不快感が、私を苦悶しつづけ、苛みつづけた。私に罪を着せるのも、私を拘留するのも、「更生教育」と称して長期にわたり身柄を拘束するのも、彼らの思うがままなのである。
 正体の見えない不気味な存在に自分の運命を支配されている。不安に満ちた妄念が私を支配し、私は眠る事もままならなかった。朝の予兆が仄かな光となって窓から差し込み、遠くの梢で歌う小鳥のさえずりが耳を洗うまで、私は妄念が作り出す不安の悪循環から抜け出す事ができなかった。漸く眠りに落ちたのは、恐らくその後のことだろう。

 駅に向かって走りながら、私は腕時計を確認した。いつも乗る電車にはもう間に合わない。辛うじて定時に間に合う電車に乗るにしても、既にギリギリの時刻だ。革靴のソールが磨り減るのも厭わず、限界に近い負担を強いた脚が悲鳴を上げるのも構わず、私は不本意な疾走を続けた。
 到着する電車のブレーキ音に焦りながら、私は駅の階段を駆け上がり、改札を走りぬけ、発車ベルに急かされるようにして最も近いドアに飛び込んだ。
 ドアの閉まる音を背後に聞きながら、私はネクタイを緩めた。汗腺という汗腺から汗が噴き出し、シャツの下はまるで蒸し風呂のようだった。湿気を帯びた熱気が緩めた襟元から吹き上がり、首筋から背中を流れる汗の滴が気味の悪い冷感を皮膚に残した。比較的混雑していない反対側のドア近くに移動して、私は上着を脱いだ。そして呼吸を整えつつ、顔や首筋を流れる汗をハンカチで拭った。
 見苦しくない程度に汗を拭き終え、少しだけ気持ちの余裕を取り戻した後、私は車窓を流れる緑に目を向けた。その時不意に、私はその時刻のその通勤電車の、その車輌に乗り合わせている筈の、ある不快な人物を思い出していた。混雑した通勤電車のロングシートに、我が物顔で寝転ぶ例の若者の事だ。あの様子を見る度に、私は不条理に対する怒りと無力な自分に対する憤りを感じるのである。一日の始まりには相応しくない、非常に不愉快な感覚である。
 私は彼がいつも寝転んでいるシートに背を向けた。意図して見ないようにしていても、何かの拍子でその様子を視界に捉えるかも知れない。あんなものを見て気分を悪くするのなら、背中を向けてしまう方がいい。
「彼は未だに、そんな事をしているのか」
 私の思考にふと、社会改善局の存在が浮かび上がった。「公共マナーを増進し、社会の秩序を回復することで、思いやりのある、誰にとっても住み良い社会を実現する」という趣旨で施行されたのが社会改善法であり、その法律に基づいて活動しているのが、社会改善局である。その社会改善局が、あの若者の行動を見逃す訳はないだろう。人々を監視する大きく見開いた「目」をモチーフにした、あの悪趣味なデザインのバッジや腕章を身につけたルール・ボランティアたちが、公共マナーの存在を鼻で笑うかのような彼の行動を見過ごす筈はないだろう。
 批判と呼ぶにも中途半端な西山の文章に「公の秩序を甚だしく乱す」というレッテルを貼りつけた社会改善局が、秩序を嘲笑うかのようなあの若者の振舞いを看過する筈が無い。
「美味しい野菜を多くの人に食べてもらいたい」という善意で作ったチラシを「社会改善法の重大な違反」として取り扱う彼らが、あの若者の不逞な態度に目こぼしをする訳が無い。「美味しい野菜を食べましょう」というチラシを見て気分を悪くする人は皆無だろうが、彼の態度を見て気分を損ねない人は、殆どいないだろう。
 素人が撮影した写真のタイトルに、こじ付けとしか言いようの無い難癖を付ける彼らが、あの若者の目に余るふてぶてしさを見落とす筈はないだろう。彼は毎朝のように、衆人環視の中でロングシートに寝転んでいるのである。
 あの若者が、社会改善局に目を付けられない訳が無い。傍若無人の振舞いを謳歌してきた彼は、既に社会改善局に拘束されている筈だ。今頃は「更生教育」とやらを受けているかも知れない。

 そう考えた瞬間、その若者に対する怒りと憤りは、私の思考から消え去っていた。それと同時に、私は社会改善局の存在と働きに、初めて肯定的な評価を与えていた。
 そうだ。そのとおりだ。何のために社会改善局が存在するのだ。マナーを守れない迷惑な輩を懲らしめ、住み良い社会を実現する事こそ、彼らの本分ではないか。彼らは彼らの仕事を、きっちりと遂行しているに違いない。偏執狂的な細かさで市民の言動を監視している彼らが、秩序を踏みにじるあの若者の行動を見逃す筈が無い。
 私の心を安らぎが満たし、権力による正義への信頼感が甦っていた。
 あのような彼の姿を見ることは、もう無いだろう。仮に彼を見掛けたとしても、彼は姿勢を正して椅子に座るか、つり革に掴まって本でも読んでいる事だろう。
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収録中の作品目次

◆新しい一歩 ◇過労死、給料遅配、会社員の「負の現実」を抉り出す社会派作品

新しい一歩 目次

◆Be better than it is. ◇「古き良き時代」、恋がまだ「冒険」だった頃…

Be better than it is.目次

◆短編

決めるのは誰か 目次壁のち壁、ところにより… 目次Office Harbor View 目次超短編集 目次
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